避難所の場所を知るだけではいけない

地震などの災害時のために、どこに避難所があるか周囲の避難所の場所を確認をされている方も多いと思う。大変に良いことであると思う。災害時、より頑丈で安全な建造物に避難することは身を守る上で重要なことである。しかし、本当にその避難所は安全だろうか。また、そこは本当に妥当な避難場所であるのだろうか。

先の大震災では津波の被害が甚大であった。低地では、いや、そこそこの高さでもかなりの被害を受けたのである。その中には避難所として設定されていた施設もあった。場合によっては数階建ての鉄筋コンクリートの建造物でさえ内部が全て洗い流されたものもあるのである。台風などでの避難には十分でも、大地震や津波、大洪水に適する避難所であるとは限らない。

避難所になる様な場所では、多数の人が集合することができる公共施設であるというのがまず第一に考えられていて、他では耐震構造であるかは見られるであろうが、もっと大きな視点からの耐災害性能はあまり省みられることはない。川が氾濫すると飲み込まれるような場所であったり、地すべりで生き埋めになる可能性のある立地であったりすることもありうるのである。地震の場合を考えてみると、揺れで不安定になっている斜面や崖が崩れることもあるし、大きな地震であればダムの決壊も可能性が無いわけではないので避難所が水に飲まれやすい位置にないか、安定した土地にあるかという点は確認しておきたいところである。

また、その避難所への経路も検討しておかなくてはならない。避難所はどういったところを通っていくのであろうか。その経路はできるだけ短くしたいが、また同時に安全で確実であるということが求められる。

実際に通過するその場所が災害時にどういった状況になりうるかを想定しておく必要がある。橋を渡るか、高架は通るか、近くに川はあるか、ガソリンスタンドなど危険物を扱うところは、もしくは大勢の人がいる場所を通るのか。

橋や高架は地震であれば崩壊して通行できない可能性を考えておかねばならない。また大雨のときは橋の通行は危険なこともある。災害時に火災が併発している場合は可燃物を扱うガソリンスタンド周辺は危険を避けるため迂回した方がよいかもしれない。繁華街等の人が多いところでは人々の混乱に巻き込まれて身動きが取れなくなる可能性もある。他にも斜面が崩れて道路が通行不可になったり、トンネルが通行するには危険になったり、その場に応じた想定が必要となる。

1つの避難所だけを調べて満足してしまうのではなく、より安全を確実にするために、いくつかの迂回路、また第二避難所などを探しておいて状況に応じた変更ができるようにしておくとより安全に避難することが可能になるであろう。

異常を無視する心理 - 正常性バイアス

危機がすぐ目の前に迫ってきているとき、人はパニックに陥ることが多い。しかし一方で、その危機が複雑なものであったり、その到達まで時間があったりすると、人はとたんに危機に鈍感になる。

正常性バイアスという言葉がある。自分に被害が及びうることに対して、自分は大丈夫、大したことないと過小評価する心理特性のことを言う。例えば地下鉄で煙がやってきても、ただ煙が出ているだけで火災でないと評価してしまうなどがある。さすがに火が目前に迫ればそういった鈍感は吹き飛ぶだろうが、そのときには手遅れであったり、パニックに陥りさらに泥沼に陥る可能性もある。この地下鉄の例は海外であるが、実際にあった例で、ぎりぎりになるまで避難がされなかったようである。

バイアスというのは偏見という意味である。正常性バイアスとは正常であるという偏見、つまり昨日も今日も異常などなく、危険など無いという思い込みのことである。無論、常に危険だと思い悩むのは杞憂なのであるが、しかしながら異常の兆候があっても理由を付けて正常と思い込むことは大変に危険である。

これはまた、自分だけ動くのは恥ずかしいという思いもあるだろう。危険を正確に評価せず周りの目だけを気にするのは、冷静に後から考えるならば愚かなことであるが、その現場にあってはなかなか動き難いものではあるだろう。しかし、自分の命を守るために、不安を放置せず危険の兆候を検証することは周りの人間の命を守ることにもつながる。

suvtechも壮大に危険を心配しているが、それはまたそういった危険が無ければ笑い話で大変結構という思いでやっている。自分、そして大事な人のことを思えば、危険の検証と確認はなんら恥ずかしいことではない。ひとつ笑い話のつもりででも確認に行くことが不安を解消し、また命を守る可能性があるなら行うべきなのである。

不安をそのままにするとき、大抵はろくなことにならない。正常性バイアスは、危険を思いそれに対抗するのに大きなエネルギーが必要であるがために逃げてしまう心理も大いに関係している。少しの労力や恥をかくことを惜しんで命を落とすことがないように、危機の兆候から目をそらさないように心構えをしておこう。

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人はパニックになる! - 冷静に対処するためには

例えば映画などで、危機的な状況のときに自ら危険に向かうような行動をするさまが描写されたりする。さて、これはおかしなことだろうか、ただの創作上の演出?そんなことはない。誰にでも起こることだ。

突発的な状況にパニックになるというのはそんなに珍しいことではない。突然のことに思考が追いつかない、また正常な判断ができないということはよくあることである。そもそもパニックはすばやい避難を促すための生理的現象ともいわれており、パニックの大本となる精神構造は誰でも持っている物なのである。

一方で、複雑な建物や、大勢の人間集団の中に居るときなど、単純に出口へ向かうだけでは危険な場合においてはパニックになっては危険である。また危機に対処する立場の人間がパニックに陥っていては正常で的確な行動などできない。

したがって、パニックにならない、もしくはパニックから早く立ち直ることが必要である。そのためにはどうしたらよいのだろうか。

その方法の1つは自らを含めてパニックに陥るのだということを強く認識しておくことである。大抵パニックに陥っている人間はそのときパニック状態にあるという認識はない。自分の行動が焦燥感にあおられた正常でないものだという考えは出てこないものである。

さらにいうなら一度パニック状態を経験してみるのがよいだろう。一度パニックになるとそのときは分からなくとも後でパニックであったと分かるものなので、パニック時の心理的状況についてよく知ることができる。そうして知っておけば、似たような心理的状況になったときに、自らがパニックになりかけているということを意識することができる。パニックになりつつあるということが意識できればそれ以上の混乱が抑えられることも多く、パニックからの復帰が早くなるのである。

また、状況に対しての訓練をつんでおくというのも対処としては効果的である。種々の避難訓練などは緊急時の行動を何度もすることによって混乱を少なく避難できるようにするものであるが、こういった反復訓練は想定された状況が起きたときに何をしたら良いかの指針を与えてくれるので、何をするべきかの選択肢に迷うことが無いのでパニックに陥り難くなる。

パニックというのは災害そのものと比べて脅威が低く見られるところがあるが、場合によってはパニックが大きな被害を出した例もあり、死に至らしめる危機であると認識しておこう。パニックは更なるパニックを誘発することもある。自らがまず冷静に行動できるよう、そして周りをパニックから立ち直らせることができるよう、パニックへの対処を意識しておきたい。