震災特別番組などみて慌てて準備するべからず

普段からsuvtechを御覧いただいている皆様方におかれては、すでに備えをされているだろうからそのようなことはないかもしれないが、テレビ番組で災害対策番組でもみてすぐに備えねばと慌てて始めるのはやめた方がいいだろう。少なくとも一度深呼吸でもして、冷静な頭を取り返してからでも遅くない。

テレビ番組でもって特集するもので見るべきところは、生き残った人々の行動や、教訓であり、生存するための行動そのものである。先人の、しかも実績のある方法と軌跡を学ぶことで自らの心構えと知識の実用性について深く考えることができるだろう。一方で、缶詰のパンやら新しい味のアルファ化米、加熱剤などの製品なども多く紹介され、こういう時期であるからどれもこれも有用ですばらしいものに見えてくるものであるが、浮ついて購入することは避けたいものである。備える物品はそれぞれについて必要性や必然性を深く自らが理解した上で、どういった状況で活用できるかをよく考えないと、いざというときに無用の長物、資金の無駄となってしまいかねない。

まずもって生存のためには冷静な思考が重要なのであるということを今一度言っておきたい。3月11日という日は、真に生存戦略ということを考えるのには最適であるが、それゆえに心を揺さぶられ、冷静になりにくい日でもある。この日に感じたことをきっかけとして、常日頃に災害・サバイバルに意識を向けるようにし、その中で各自に最適な知識と技能、装備構成を構築していくようにしていただきたい。

カメラの危険 : 危機感を遠ざけるファインダー

ちかごろ災害の報道を見ると、被災の瞬間の映像がよく見られるようになった。これは携帯電話などにカメラが搭載されて動画が手軽に撮れるようになったためで、個人の撮影したものが報道機関に投稿されたものも多い。

こういった動画を見ていると、撮影者が危険な位置にいる場合も多々ある。竜巻の迫る中、また津波で増水する川の付近で撮影された映像などは撮影者にかなりの危険があったはずである。危険な状況を撮るというのは、すなわち危険な場所にいるという場合がほとんどであることを大抵の人間が理解できるはずであるが、どうして逃げずに撮影を続けてしまうのであろうか。

こういった行動は、手軽なカメラが普及する前は戦場カメラマンなどであることが知られていた。危険な場所で撮影するカメラマンは、よく気をつけていないと危険な場所に踏み込み過ぎてしまうというのである。一説によると、レンズを通したこちら側は安全なような気がするとか、もしくは現実感が薄れるとか、そういう気になるそうだ。(こういった心理に心理学的な現象名が付いているかは、申し訳ないが知らないが)おおよそそういったエピソードを見聞きする限り、実際に危険に近づきすぎる傾向があることは昔から存在するようである。

無論そういった画像は災害研究の有用な資料になりうるが、しかしながら生存を第一に考えるサバイバーとして考えるならば写真や動画の撮影にかまけて自らの身を危険にさらすことは厳に慎むべきである。多くの人に見られる突発的な行動・心情は自分にも訪れるものであるということをしっかりと認識し、万が一にも撮影などして逃げ遅れることがないように、まず第一に避難と安全確保を行うことを再度しっかりと肝に銘じるべきであろう。

危険を意識する想像力をもつべし

非常事態は突然にやってくることが多い。地震や竜巻など、突如おとずれて破壊をまきおこすものであるが、その前兆はほとんど発見できるものではない。しかもそれは自然災害だけでなく、事故などの人災、また通り魔などの犯罪者も脅威である。近頃では車で故意に人ごみに突っ込むような事件もあり、街中でも危険は確実に存在するのである。

そうであるがゆえに、常に生存のために行動する必要があるということになるのであるが、その一方で常に気を張って警戒し続けているのでは疲れてしまう。精神の疲れは判断の遅れや間違いを生むことになり、結局のところ逆効果になってしまうこともある。と、なるとどうするべきなのか。

少しばかり分かり難い話になるが、対策としては、気を使うという範囲で危険に対しての心構えを持っておくというのが良いと思われる。日常生活の中で、例えば戸棚を見て、地震のときは物が落ちてくることもありそうだなとか、交差点で運転を誤った車が来ることもあるんだよな、といった少しばかり想像力を働かせる程度でよい。日常で折に触れてそういった想定を繰り返すことで、非常時に動揺を少なく抑えて素早く行動できるという効果が期待できる。

常在戦場という言葉があるが、その域に達するまでは少しずつの積み重ねが必要だ。ちょっとづつの想像力を日々働かさせることで、常に生き残るために適切な行動に移れるように訓練できるはずである。