スカベンジングをするべきか否か

スカベンジングとは

災害時などの非常時、廃墟などから使えるものを得ることをスカベンジングという。極早くに救助が見込める場合や、避難場所に十分な物資がある場合など、必要物資が逼迫していないときには必要ない行為であるが、長期の困難な状況では必要になるシーンもでてくるだろう。

スカベンジングが身近に見られるのは、ゲームや映画などである。世界が崩壊した後などを描いた作品であると、廃墟から必要な物資をかき集めてまわるような行動がよく見ることができる。食料や水、医薬品また武器なども無人の街の廃墟を探し回って得るのである。

スカベンジングは社会的に危険な行為、だが・・・

スカベンジングは多くの場合、無人の店舗を対象にして行われることが多い、これは存在する物資の種類が分かっており、また量も見込めるからであるが、同時に所有者の滞在が少ないことや同じく物資を求めている人間と鉢合わせたときの危険が少ないということもある。半公共の場である店舗は人がいても理由無しには敵対視し辛いところがあるからだ。

実のところ、正常な状態であれば、つまり緊急時や非常時でなければスカベンジングは窃盗であり、明らかに犯罪である。また、災害時などの非常時であっても所有者が居れば強盗であるし、緊急で必要としていても強奪して居直っていいものではない。であるから、所有者のない、もしくはいくらか黙認される可能性のある店舗等を対象に物資をあさりに行くのである。

つまるところ、言ってしまえばこういった行為は略奪などと呼ばれる可能性がある行為である。火事場泥棒などの犯罪者と紙一重の行為といっていいものである。しかし、生命の危機に瀕してはこれは緊急避難として許容されるものであろう。それ以外の行動では生命を維持できず、また他者の生存を脅かさない範囲に置いては生命の維持に必要な物資を得ることは非難の大きい行為ではないはずだ。

もちろん、この行為によって損害を受けて所有する者の生命に危険が降りかかることはあってはいけない。物資の有無は生存を左右する。自然権の内に生存権に並び財産権があることは物資の重要性を表していると思う。つまり必要な物資を奪うことは命を取るのとさほど変わらないのであるから、スカベンジングを行うときは慎重に、節度を持って必要最低限にとどめておくことが肝要である。

ただ、スカベンジングが必要となる時というのは大抵の場合、なにもかもが破壊されつくしている場合であろうから、さほど考えずとも倒壊した建物類から必要物を得るのに支障は少ないだろうと思われる。また、瓦礫の下や雨ざらしなどですぐに回収しないとだめになる様な場合でもそうである。状況をよく見て、必要なことをできるようにしたい。

スカベンジングを完全に忌避すればリスクは大きい

一方で、そういった略奪に近い行動を取ることを忌避する方も多いだろうと思う。そんな行為をせずとも自然に分け入れば食料や物資を得ることができるのではないか、という考えもあるだろう。しかしながら、自然の中に全てを求めるのは苛酷であることを知っておかなければならない。

suvtechはそういった自然の中で自然物のみを使ってのサバイバルも考えているが、それは自然物しか使えない状況でも生き延びるためである。自然の植物やきのこは毒性の物も多くあり、またその採取に当たっては毒虫に攻撃されることもあり、動物を狩って食べようとするならば危険な大型動物や、小さくとも感染症などで致命的な打撃を与えうる動物などと対峙しなければならない。食料1つとってみても、自然の中での生存はとにかくリスクの多い行為であり、できるならば避けるほうが賢明なのである。

サバイバルはまず第一に自らの命を保つことである。無論、奪うものは奪われるのであり、他者の所有を犯すことはできないが、そうでなければ高潔でありすぎて死ぬよりも生き汚く生き抜く方を選ぶのが生き残る秘訣であろう。

異常を無視する心理 - 正常性バイアス

危機がすぐ目の前に迫ってきているとき、人はパニックに陥ることが多い。しかし一方で、その危機が複雑なものであったり、その到達まで時間があったりすると、人はとたんに危機に鈍感になる。

正常性バイアスという言葉がある。自分に被害が及びうることに対して、自分は大丈夫、大したことないと過小評価する心理特性のことを言う。例えば地下鉄で煙がやってきても、ただ煙が出ているだけで火災でないと評価してしまうなどがある。さすがに火が目前に迫ればそういった鈍感は吹き飛ぶだろうが、そのときには手遅れであったり、パニックに陥りさらに泥沼に陥る可能性もある。この地下鉄の例は海外であるが、実際にあった例で、ぎりぎりになるまで避難がされなかったようである。

バイアスというのは偏見という意味である。正常性バイアスとは正常であるという偏見、つまり昨日も今日も異常などなく、危険など無いという思い込みのことである。無論、常に危険だと思い悩むのは杞憂なのであるが、しかしながら異常の兆候があっても理由を付けて正常と思い込むことは大変に危険である。

これはまた、自分だけ動くのは恥ずかしいという思いもあるだろう。危険を正確に評価せず周りの目だけを気にするのは、冷静に後から考えるならば愚かなことであるが、その現場にあってはなかなか動き難いものではあるだろう。しかし、自分の命を守るために、不安を放置せず危険の兆候を検証することは周りの人間の命を守ることにもつながる。

suvtechも壮大に危険を心配しているが、それはまたそういった危険が無ければ笑い話で大変結構という思いでやっている。自分、そして大事な人のことを思えば、危険の検証と確認はなんら恥ずかしいことではない。ひとつ笑い話のつもりででも確認に行くことが不安を解消し、また命を守る可能性があるなら行うべきなのである。

不安をそのままにするとき、大抵はろくなことにならない。正常性バイアスは、危険を思いそれに対抗するのに大きなエネルギーが必要であるがために逃げてしまう心理も大いに関係している。少しの労力や恥をかくことを惜しんで命を落とすことがないように、危機の兆候から目をそらさないように心構えをしておこう。

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人はパニックになる! - 冷静に対処するためには

例えば映画などで、危機的な状況のときに自ら危険に向かうような行動をするさまが描写されたりする。さて、これはおかしなことだろうか、ただの創作上の演出?そんなことはない。誰にでも起こることだ。

突発的な状況にパニックになるというのはそんなに珍しいことではない。突然のことに思考が追いつかない、また正常な判断ができないということはよくあることである。そもそもパニックはすばやい避難を促すための生理的現象ともいわれており、パニックの大本となる精神構造は誰でも持っている物なのである。

一方で、複雑な建物や、大勢の人間集団の中に居るときなど、単純に出口へ向かうだけでは危険な場合においてはパニックになっては危険である。また危機に対処する立場の人間がパニックに陥っていては正常で的確な行動などできない。

したがって、パニックにならない、もしくはパニックから早く立ち直ることが必要である。そのためにはどうしたらよいのだろうか。

その方法の1つは自らを含めてパニックに陥るのだということを強く認識しておくことである。大抵パニックに陥っている人間はそのときパニック状態にあるという認識はない。自分の行動が焦燥感にあおられた正常でないものだという考えは出てこないものである。

さらにいうなら一度パニック状態を経験してみるのがよいだろう。一度パニックになるとそのときは分からなくとも後でパニックであったと分かるものなので、パニック時の心理的状況についてよく知ることができる。そうして知っておけば、似たような心理的状況になったときに、自らがパニックになりかけているということを意識することができる。パニックになりつつあるということが意識できればそれ以上の混乱が抑えられることも多く、パニックからの復帰が早くなるのである。

また、状況に対しての訓練をつんでおくというのも対処としては効果的である。種々の避難訓練などは緊急時の行動を何度もすることによって混乱を少なく避難できるようにするものであるが、こういった反復訓練は想定された状況が起きたときに何をしたら良いかの指針を与えてくれるので、何をするべきかの選択肢に迷うことが無いのでパニックに陥り難くなる。

パニックというのは災害そのものと比べて脅威が低く見られるところがあるが、場合によってはパニックが大きな被害を出した例もあり、死に至らしめる危機であると認識しておこう。パニックは更なるパニックを誘発することもある。自らがまず冷静に行動できるよう、そして周りをパニックから立ち直らせることができるよう、パニックへの対処を意識しておきたい。